徹底解説 『鬼滅の刃』全集中の呼吸”常中”はマインドフルネスだ。
映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』、いよいよテレビ初登場ですね。
劇場ではご覧になりました?
私は2回観ました。
家族と時間があわず、2回ともひとりで涙しました(笑)
(2021年9月追記)
その後に中学受験が終わって一息ついた娘と4Dを観にいくことができ、二人で涙しました。
映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』公開から1年近くが経とうとしていますが、ついに続編である「遊郭編」のテレビ+他主要動画配信プラットフォームでの放送が決定しましたね。
今から楽しみです!
(2021年9月追記ここまで)
『鬼滅の刃』の呼吸については一度、下の記事を書きました。
こちらの記事を書いた後、あらためて『鬼滅の刃』(以下、鬼滅)の漫画全巻(1〜23巻)を読み返しました。
そしてさらにマインドフルネスや禅の本についても読み返した上で、もう少し鬼滅の呼吸とマインドフルネス、禅について掘り下げてみたいと思いこの記事を書いています。
なんかヨガとか瞑想で聞いたことある気もするしなぁ…
そんな疑問に徹底的に答えてみます。
●マインドフルネスにおける呼吸とは
●徹底比較:『鬼滅の刃』、マインドフルネス、禅の呼吸
この記事を読むことで、『鬼滅の刃』の呼吸はマインドフルネスそのものであることが納得できます。
そして誰でも習得可能なこと、さらに習得することで得られる効果もわかります。
『鬼滅の刃』とマインドフルネスを徹底的に比較するという視点で、今回あらためて情報を整理しました。
整理するにあたって、おもに情報のベースとしたのは以下の3つです。
(その他の情報ソースについては記事の末尾で紹介します)
※それぞれのタイトルをクリックすると本の詳細を紹介したAmazonのページに飛びます。
各情報ソースの概要については以下のとおりです。
1.鬼滅の刃
吾峠呼世晴による日本の漫画。略称は「鬼滅」[3]。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて2016年11号から2020年24号まで連載された[4]。
大正時代を舞台に主人公が鬼と化した妹を人間に戻す方法を探すために戦う姿を描く和風剣戟奇譚[5]。シリーズ累計発行部数は単行本第23巻の発売をもって1億2000万部を突破している[6]。
アニプレックスプロデューサーの高橋祐馬がアニメーション企画を立ち上げ、2019年にアニメスタジオ・ufotableの制作によりテレビアニメ化された[7]。
出典:Wikipedia「鬼滅の刃」の項よりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E6%BB%85%E3%81%AE%E5%88%83
2.マインドフルネスストレス低減法
心理療法の第3の波,マインドフルネス認知療法の源泉となるカバットジンの名手引書の復刊。
呼吸への注意,正座瞑想,ボディースキャン,ヨーガ,歩行瞑想を体系的に組み合わせ,“禅思想”に通じた体験を得るためのエクササイズを一般人にわかりやすく紹介。
著者の大学メディカルセンターで4000症例をもとに科学的に一般化。(Amazonの説明欄より引用:https://www.amazon.co.jp/gp/product/4762825840?ie=UTF8)
3.禅マインド ビギナーズ・マインド
1970年に米国で出版以来、世界中で読まれている禅の入門書。
著者の鈴木俊隆老師は1959年に渡米し、サンフランシスコ禅センターを設立。渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダーらビートニクたちを惹きつけ、1960年代、カウンターカルチャーのさなか、多くの若者が俊隆老師のもとで瞑想をした。のちにアップルを創業することになるスティーブ・ジョブズはまさにそうしたムーヴメントの申し子として本書と出会い、禅の道に入っていく。(Amazonの説明欄より引用:https://www.amazon.co.jp/gp/product/4762825840?ie=UTF8)
『鬼滅の刃』の全集中“常中”とは
『鬼滅の刃』の呼吸とは基本の身体制御法である
鬼滅といえば呼吸、というくらい切っても切り離せない関係ですね。
え?映画しか観たことない?
そんなあなたでも、
・水の呼吸
・雷の呼吸
・獣の呼吸
そしてなんといっても、
・炎の呼吸
には覚えがあるんじゃないでしょうか?
そう。この煉獄杏寿郎が使っていた呼吸です。
〇〇の呼吸 壱の型(弐の型、参…)という感じで技がくり出されていくので、一見呼吸と技の区別がつきづらいですよね。
私もきれいに仕分けられていません。
ですが呼吸は呼吸、あの吸って吐いてするやつなので、その仕方の違いによって繰り出せる技が変わってくる、ということなんでしょうから、私は身体制御法、と表現してみました。
ちなみにWikipediaではこう書かれています。
呼吸法(こきゅうほう)
鬼を倒すため、鬼殺隊が身に付ける操身術の総称。著しく増強させた心肺活動により、一度に大量の酸素を血中に取り込むことで、身体能力を瞬間的かつ大幅に上昇させ、鬼と互角以上の剣戟を繰り出す[159]。これを「全集中の呼吸」と呼び、剣技に用いて鬼の頸を狩る。
出典:Wikipedia「鬼滅の刃」の項よりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E6%BB%85%E3%81%AE%E5%88%83
操身術、なるほど。
私の語彙にはありません(「そうしん」で変換しても出ない@グーグル変換)が、要は身体を操る術、ということですね。
ポイントとしては、「著しく増強させた心肺活動により、一度に大量の酸素を血中に取り込むことで、身体能力を瞬間的かつ大幅に上昇させ」ることです。
これがきちっとできた状態が「全集中」の呼吸、ということで、呼吸法だけ知ってても、全集中ができていないとちゃんと使えていることにはならない、ということですね。
このあたりは鬼滅をよくご存知であれば当たり前かもしれません。
そうでないあなたでも、映画に先立ってやっていたテレビ放送とかで1〜5話を観ていたらご理解いただけることと思います。
まだ観てないよとか、漫画読んでないよとか、そういうあなたは動画配信サービス(U-NEXTとかHuluとかABEMAとか)で観るなり、漫画を読むなりしてみてください!
全集中“常中”は究極の呼吸の使い方
ここまでで呼吸は身体制御法(操身術は自分的にしっくりこないので勝手に身体制御法を優先させます)であって、全集中することでその威力を発揮するというのが基本だ、というのはご理解いただけましたね。
全集中しないと鬼の首は切れないんですが、実は全集中するだけではまだ足りず、目指すべきところはさらに上があります。
こんなシーンがあります。
鬼との戦いで傷ついた竈門炭治郎が治療のために入院していて、リハビリに励んでいるところでの出来事です。
身体機能回復訓練という、えげつない訓練があるんですが、なかなかうまいこといかない。
そんなときに投げかけられたひとことです。
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第6巻
なんと、鬼を斬るために使う全集中の呼吸を、四六時中やってるのかと詰め寄られるわけです。
ウソやん。
いやいやいやいや!
ムリムリムリムリ!(ヾノ・∀・`)ムリムリ
はい。
最初読んだときに私もそう思いました。
しかしですよ、詳しい経緯は省略しますが、見事それを炭治郎はやってのけるわけです。
この全集中の呼吸を四六時中おこなうというのがこちらです。
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第6巻
基本の技。
初歩的な技術。
できて当然。
…。
まぁこういっているのは煉獄さんと同じく柱(鬼殺隊のトップの連中)がいってることなので、たしかに彼らにとったら初歩的な技術なわけです。
煉獄さんも映画でこういってましたね。
(漫画からですが映画にも同じシーンがありました)
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第8巻
「柱への第一歩」
なんですけど同時に、
「柱までは一万歩あるかもしれないがな!」
ってそんな…
まぁまぁ、そんな人間離れしたトップ中のトップのレベルは置いておいて、大事なことは、とにかく全集中の呼吸を四六時中意識してできるようになること。
これが究極の高みを目指すための第一歩である、ということをここではご理解ください。
呼吸によって得られる効果とは
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第8巻
これも映画の中にあったシーンですね。
上で紹介したシーンの続きの場面です。
自ら全集中の常中で止血をした炭治郎に、煉獄さんが語りかける場面です。
いや、止血したり、鬼の身体と化した電車の8両中の5両をひとりで守っちゃったりと、相当「何でもできる」に近いんですが、そこはまぁ漫画の世界として。
ポイントは「昨日の自分より確実に強い自分になれる」ですね。
ここまで、鬼滅の呼吸法について考えてきました。
ここからはマインドフルネスについて考えていきましょう。
マインドフルネスにおける「呼吸」とは
まずそもそも「マインドフルネス」ってなんぞや、というところから簡単に入りましょうか。
いろいろありますが、ここはわかりやすさのために情報源をほぼ一つ、上でもご紹介した「マインドフルネスストレス低減法」に絞ります。
マインドフルネスとは禅や東洋思想から影響を受けた「癒し」の方法
まず書籍冒頭近くで、そもそもマインドフルネスとはどういったものであるのかということが、日本人に向けて書かれています。
「マインドフルネス瞑想法」というのは、“今”という瞬間に完全に注意を集中するという方法です。これは、仏教における瞑想の中核といわれており、禅宗を初めとして、そのほかの仏教宗派でも非常に重んじられているものです。しかし、仏陀も強調しているように「マインドフルネス瞑想法」は、仏教徒以外の人が普通の生活に広く応用できる普遍性を備えているものです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 「日本の読者の皆さんへ」 p. xi
このように仏教からの影響を強く受けていますが、注目していただきたいのは「仏教徒以外の人が普通の生活に広く応用できる普遍性」を持っていること。
つまり宗教的な儀式とはちょっと違うよ、ということですね。
仏教と聞くと「ナムアミダブツ」とか「ナンミョーホーレンゲーキョー」とかを思い出す人も日本人では多い(大半?)んじゃないかと思います。
仏教と瞑想の関係とか、知ってました?
そしてもう一つの注目は、上で述べた「仏教徒以外の人が普通の生活に広く応用できる普遍性」というのは、「仏陀も強調している」ということです。
仏陀とはブッダ、またの名をゴータマ・シッダールタ、つまり仏教の開祖です。
そのブッダが強調していたのが、瞑想は仏教徒だけに有効なものじゃなくて誰にとっても活用できるものなんですよ、という点だということです。
私も生半可な知識しかないですが、ブッダが説いていたことって、宗教的なことよりも「どうやってより良く生きるか」という日常のお悩みごとについてがほとんどであって、宗教に祭り上げたのは周囲とか後世の人たちなんだろうな、と。
そして著者のカバットジン氏が大きく影響を受けたのが、仏教の中でも「禅」です。
私は、長年、日本の文化から大きな影響を受けてきました。1960年代初期に、まだ学生だった私に初めて日本の禅というものを教えてくれたのは、鈴木大拙でした。その後、鈴木俊隆著 “Zen Mind, Beginner’s Mind (初心禅心)” に出会い、本格的に瞑想の精神を探求する道に足をふみいれることになったのです。十三世紀の偉大なる禅師、道元の優れた思想にも大きな影響を受けました。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 「日本の読者の皆さんへ」 p. xi−xii
ここで紹介されている「”Zen Mind, Beginner’s Mind (初心禅心)” 」というのは、この記事冒頭で参考文献としてご紹介した「禅マインド ビギナーズ・マインド」のことです。
ご覧のように、マインドフルネスとは仏教、特に禅からの影響を強く受けた瞑想法であることがわかります。
マインドフルネスで大切なのは「今、ここ」に集中すること
そしてマインドフルネスでおこなうことはたった一つです。
それが「今、ここ」に集中することです。
何かをすることによって時をすごすのではなく、意図的に何かするのをやめ、”今”という瞬間の中で、自分を解放しようとしているのです。心に気がかりなことがあったとしても、体が何か不快感を感じていたとしても、その瞬間の中で、意図的に、心と体に安息を与えようとしているのです。”生きている“ということ、“存在している“ということの本質にふみこもうとしているのです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 第1章 p.31
「今、ここ」に「集中する」というのも的確ではないかもしれません。
「何かをすることによって時をすごすのではなく、意図的に何かするのをやめ」とありますから、ただそこにあるだけの存在になる、ということです。
なので、「今、ここ」にある、とか「今、ここ」を感じる、といった感じですかね。
厳密に表現するのは難しいんです、ホント。
そして厳密に書き表して定義して理解した気になる、ことを求めてもいけない、ということが「禅マインド ビギナーズ・マインド」ではいわれています。
紙に書いてある教えというのは正しい教えではありません。書かれた教えは、脳の栄養にはなります。脳にも栄養は必要でしょうが、もっと大事なのは、正しい生活を実践することです。
出典:サンガ新書『禅マインド ビギナーズ・マインド』 p.43〜44
ただ、そうはいっても具体的にはどうしたらいいの、という方法はあるわけです。
「今、ここ」を感じるために重要なのが呼吸に集中すること
そうなんです。
「今、ここ」のためにポイント、というか唯一これだけ、といっても過言ではないのが―
そうです。
「呼吸」なんです。
呼吸に注意を集中するということは、「マインドフルネス瞑想法」のあらゆる面での基本となります。このあとにご紹介する静座瞑想法にしても、ボディー・スキャンにしても、ヨーガ瞑想法や歩行瞑想法にしても、すべての瞑想法に必要なことです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 第3章 p.88
マインドフルネス瞑想法には、上記のようにいろいろな方法がありますが、「あらゆる面での基本」と書かれています。
そして紹介されている瞑想法の中には、静座瞑想といった坐禅に近い動きのない「静」の瞑想だけでなく、ヨーガ(ヨガ)や歩行瞑想といった動きのある瞑想法もあり、その動作の中でも呼吸に集中することが必要なんです。
また禅マインド ビギナーズ・マインドでは下記のように説かれています。
坐禅の修行では、私たちは心を呼吸に集中しなさいといいますが、心を呼吸に集中させるには、自分を忘れてしまって、ただ座り、呼吸を感じることです。呼吸に集中していれば、自分を忘れるでしょうし、自分を忘れてしまえば、呼吸に集中するでしょう。どちらが先になるかはわかりませんが。したがって実際は、あまりに一所懸命に呼吸に集中しすぎないでいいのです。ただできるだけ、やるということです。この修行を続ければ、やがて無からやってくる真の存在を経験するでしょう。
出典:サンガ新書『禅マインド ビギナーズ・マインド』 p.230
こちらの表現は少しマインドフルネスストレス低減法と比べると難しいですかね。
呼吸に集中するのかしないのか、どっちやねん!
という感じですが、上のほうで書いたように本質は正確には書き表せないので、要は黙って座りなさい、ととらえておけばいいでしょう(笑)
徹底比較:『鬼滅の刃』、マインドフルネス、禅の呼吸
ここまで『鬼滅の刃』とマインドフルネス・禅の呼吸法をそれぞれ見てきました。
ここからは、これらを比較しながら共通点・同一性を探していきたいと思います。
本質は一つ!
全集中・常中はいずれにも共通する呼吸法
上のほうでご紹介したものの復習ですが、全集中・常中とは全集中の呼吸を四六時中おこなう、という技でした。
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第6巻
到達レベルの現実味はさておき、会得するには確かに相当な努力は必要そうですよね。
そしてマインドフルネス瞑想ではこんな描写があります。
一日を通じて呼吸に注意を集中することによって、毎日の生活の中で常に意識を覚醒させておくことができます。これができれば、やがて自分の呼吸が昔からの友達であり、癒しに貢献してくれる力づよい仲間のように感じる日がやってくるでしょう。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 第3章 p.88
どうでしょうか。
これって全集中・常中と同じ状態じゃありませんか?
そしてまた、禅マインド ビギナーズ・マインドにも以下のようなくだりがあります。
座るとき、あるいは立ち上がるときに、身体を左右に揺するのも、自分自身を表わしているのです。それは修行のための準備や、坐禅の前後に身体を緩めてリラックスする、ということではありません。それ自身が修行なのです。なにかを準備する、という気持ちで行うべきではありません。それは日常生活のすべてにいえるのです。(中略)料理をするということは、なにかのために食べ物を準備するという気持ちではいけません。料理自体が、自分の誠実さ、真剣さの表現なのです。(中略)坐禅で座ることは、もちろん大事なことであり、必要なことです。しかし、座ることだけが修行なのではありません。何事を行うときも、同じ、深い働きでなければなりません。
出典:サンガ新書『禅マインド ビギナーズ・マインド』 p.99
ここでは呼吸について触れてはいませんが、この場合は料理を例にして、日常生活のすべての行動が修行である、と説いています。
そして修行のベースである坐禅の際には呼吸に集中することだ、という点とあわせて読み解けば、こちらでいわれていることも全集中・常中そのものだといえるんじゃないでしょうか。
そういう意味では、鬼滅の刃でいうところの全集中・常中だけが人間離れして難しいことか、というとそうではないじゃないかなぁ、と。
マインドフルネスでも、禅マインドでもいわれているように、どんなときにも呼吸に集中する、というのは限りなく難しいし、「会得するには相当な努力が必要」そうですよね。
呼吸を極めるということ
『鬼滅の刃』でも、マインドフルネスでも、呼吸を極めることが目指す姿であることはわかりました。
でも実際呼吸を極めるとどんなことができるようになるんでしょうか。
このあたりを探求してみたいと思います。
※注意:ストーリーに関わる重大なネタバレはありませんが、これ以降は映画「鬼滅の刃 無限列車編」よりも後のシーンからの引用が多くなります。
まず『鬼滅の刃』から。
鬼滅では全集中・常中は、確かに高度な技ではありますが、まだ究極レベルではありません。
「基本の技」「初歩的な技術」「できて当然」なんてしのぶさんにいわれちゃっていますし、現にそれだけではメチャメチャ強い上位の鬼には歯が立ちません。
そのレベルを1万歩以上超えた煉獄さんですら、鬼にやられてしまっているわけですし(涙)
もっともっと呼吸レベルを向上させると、違った世界が見えてくるようです。
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第17巻
「力の限り踠いて苦しんだからこそ届いた“領域”」として“透き通る世界”が待っているようですね。
いったいどんな世界なんでしょうか。
ドキドキしますね。
それはまた後ほど。
そしてマインドフルネス瞑想法の中には、「ボディー・スキャン」という方法があります。
これは「スキャン」という名のとおり、身体のすみずみまで意識を動かしていくというもので、本の中に下記のような記述があります。
これで、ボディー・スキャンは終了します。やってみて、どんな感じがしましたか?透明人間になったような感じがする人もいれば、体が消えてしまったように感じる人もいるでしょう。まるで体のさまざまな場所の境界を越えて、呼吸している空気だけが自由に流れているように感じるはずです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 第5章 p.119
「透明人間」「体が消えてしまった」
なんか上で書いた鬼滅の「透き通る世界」に通じるものがありませんでしょうか。
そして禅マインド ビギナーズ・マインドには以下のような箇所があります。
なにかを行うときに、心と身体の全部で行うこと、つまり自分の今行っていることに完全に集中すべきです。完全に集中する。さながら、よく燃え上がっている焚き火のようにします。けぶっていてはいけません。自分自身を完全に燃やしつくすのです。(中略)禅とは、つねに完全に燃やしつくして、灰しか残らないことをいいます。これが修行の目的です。道元禅師はいいました。「灰は、薪(たきぎ)に帰らない」。灰は灰です。灰は、完全に灰であるべきなのです。薪は、完全に薪であるべきです。この種の活動が起こるとき、一つの活動がすべてを包含しています。
出典:サンガ新書『禅マインド ビギナーズ・マインド』 p.124
「透き通る」という表現とは少し異なりますが、「燃やしつくす」「完全に灰になる」というのはなにもなくなる、という意味では相通じるものがあるのかな、と。
いずれにせよ呼吸を極めることで、自分が消え去るとか、「無」になるとか、そんな感覚に近づくのかなぁと感じています。
自分はそんな感覚にはまだほど遠い、1万歩どころの騒ぎじゃない、という感じなので「そんなものなのかなぁ」という想像の域を出られません。
悲しいことに。
呼吸を極めた先にあるもの
呼吸を極めることで、なにか「無」になるような感覚にたどりつく、というのは理解できました。
そうですよね。
無とか透明になる、というのはわかったけど、それが持つ意味っていったいどういうことなのか、というのを探ってみたいと思います。
まずひとつには映画でも印象的だったんじゃないでしょうか、下記のシーンですね。
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第8巻
意識を集中して呼吸の精度を上げることで、体の中の破れた血管の位置を特定して止血する。
そんな離れ業のようなシーンでした。
このシーン、自分で呼吸に集中して止血する炭治郎はもちろんスゴいんですが、もっとスゴいのは煉獄さん。
外側から炭治郎の体の中がまるで見えているかのようですよね。
これは後から考えたのですが、煉獄さんはそこまでレベルの高い呼吸をすでに習得していたんじゃないか、と思います。
そう考えると他の柱よりも高いレベルまでたどり着いていたのに…(涙)
余計に悲しくなってしまいました。
なにをいっているかというとですね、呼吸を極めた先にあるものが、今お話した、まるで人の体の中が見えているかのような世界なんです。
呼吸のレベルが究極的に高まると、見えないものが見えるようになると。
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第17巻
出典:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第20巻
この場面です。
柱最強とも称される悲鳴嶼(ひめじま)さん、彼は盲目です。
にもかかわらず呼吸を極限まで集中することで敵の脈動まではっきりと知覚できる、鬼との戦闘中にそんな境地にたどりつきました。
ここまでくるとそりゃ漫画の世界、ありえないよねー、というレベルかもしれませんね。
でも誰もここまでたどりついたことがないのであればわかりませんね。
ただわからないから、即ウソとかありえない世界なのか、ということに関しては、ここまで取り上げてきた本ではなく別の仏教関係の一冊からのくだりをご紹介しておきます。
仏祖是を明らめて、衆生是をしらす、しらさるを以てうたがふ、いよゝ愚の愚也。
我がしらさる事、何ほどかあらんに、しらすして、みななき事といはゝ、百の事を六つ七つしりて、その外の事を人いふに、みなゝしといはゝ、九十みななき事になりぬ。(お釈迦様は、このことを明らかにされました。しかし一般の人々は、このことを知りません。知らないので疑うのです。愚かなうえにも愚かなことです。
自分の知らないことが、この世の中にどれほどたくさんあるでしょうか。知りもしないことだらけなのに、自分の知らないことは、みんなないことだといおうとします。百の事のうち六つか七つしか知らない者が、それ以外の事をいわれて、それは全部、ない事だといいます。すると、九十かそれ以上のことが、みな、ないことになってしまいます。)出典:徳間書店『不動智神妙録』 玲瓏集 p.162〜163
この本については、下記の鬼滅に関する記事でも少しだけとりあげましたが、沢庵宗彭という禅僧が著した、剣技に関する本です。
呼吸を極めることによって相手の脈動までわかるということではありませんが、この不動智神妙録から、心の置きようによって極められることとして信じがたいような描写があるので、参考までにご紹介します。
読みやすさを考えて原文は省略し、現代語訳のみご紹介します。
千手観音だとて、手が千本おありになりますが、もし、弓を持っている一つの手に心がとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手は、どれも役にはたちますまい。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆、役に立つのです。
(中略)不動智を身につけることができれば、たとえ身体に千本の手があったとしても、立派に使いこなせるのだ(中略)
たとえば、一本の木を見ているとしましょう。(中略)
一枚の葉に心をとらえられれば残りの葉は見えません。一枚の葉に心をとらえられることがなければ、何千枚の葉だろうと、すっかり見えるのです。
このことを悟った人は、つまり千手千眼の観音と同じです。出典:徳間書店『不動智神妙録』 p.33〜34
禅に関してはこのあたりにとどめたいと思います。
さて、マインドフルネスのほうはどうでしょうか。
自分の視力や聴力について、また、あなたを好きなところに運んでくれたり、立っているときに体全体のバランスを保ってくれる足について、考えたことはありますか。どの機能も驚くほど精密にはたらいています。私たちの健康は、感覚器官、筋肉や神経、細胞、内臓システムなどのはたらきが統合されることによって保たれているのです。
私たちの体は、まさに一つの”宇宙”だといえるでしょう。体は、何百億もの細胞から成りたっていますが、それぞれの細胞の内部には、全体としての体内バランスと秩序を稚持するための統制機能が組みこまれているのです。つまり、人間の体には、本質的に、自己組織力と自己治癒力が備わっていると考えることができるのです。
この体内バランスは”フィードバック・ループ”、つまり、状況に合わせて体のあらゆる部分を調整する機能によって維持されているのです。出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 p.274〜275
この「宇宙」とも呼べるシステムは「全体性」としていい表されています。
その全体性についてもう少し引用します。
癒しというのは、病気とか障害とか死といったものとはまったく関係がない“可能性”を意味しています。これまでにもお話してきたように、その力は、”全体性”を見抜く目を養うことによって生まれてくるのです。癒しは、基本的な瞑想をくり返し、心身の深いリラクセーションを体験し、心と体の区別を超越することによってもたらされるのです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 p.303
瞑想の本質は“何もしない”ということです。何もしないで、あるがまま受け入れ、とき放つことによって、“全体性”を体験するのです。そして、これが治癒力の基礎になるわけです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 p.309
医学的な実証やメカニズムはまだ明らかにされていない部分は多いようですが、マインドフルネスが治癒力を高める効果は決して否定できないものだといってよいでしょう。
ただし、これはカバットジン氏も注意をうながしていますが、あくまでも治癒力が高まるのは結果の状態であって、それを目的として瞑想をおこなうのは、マインドフルネス瞑想法の精神とは違います。
「瞑想で自分の免疫システムを強化できる」という強い期待をもつことは、実際には自分のもっている癒しの力を十分に引きだすうえでの障害となる、と考えています。なぜならば瞑想は、ゴールをめざすものではないからです。あまりにも期待感や目的意識が強すぎると、瞑想の精神が損なわれ、効果どころか逆に障害になってしまうのです。
出典:北大路書房『マインドフルネスストレス低減法』 p.309
いかがでしょうか。
『鬼滅の刃』とマインドフルネスと禅、それぞれの「呼吸」とその共通点をご理解いただけましたかね。
そして「呼吸」をもっと極めてみたい、なんて気になりましたでしょうか。
まとめ:もっと呼吸を極めよう
出典:https://youtu.be/-ewm56D9DzY?t=85
あなたは『鬼滅の刃』から?マインドフルネスから?それとも禅から?
どこから入っても究極的にたどりつく境地は同じですね。
あなたはどこから究極の呼吸を極めますか?
「心を燃やせ。歯を喰いしばって前を向け」
1.『鬼滅の刃』から呼吸の理解を深める
まず『鬼滅の刃』の呼吸を一通り理解してみようと思うなら…
①『鬼滅の刃』を全巻買ってみる
②『鬼滅の刃』全26話を見る
テレビ放送はもう終わってしまっているので、動画配信サービスを利用することになりますが、公式ページをみたら、ほとんどのサービスで見られますね。
逆に見られないところはないくらいなんじゃないでしょうか?
もしあなたがどことも契約されていないようであれば、メジャーどころのリンクを下記に紹介しておきますので、そこからすぐに申し込めます。
どこも無料契約期間がついているので、最大限に活用するのがポイントです。
【31日間無料トライアル】U-NEXTで『鬼滅の刃』全26話を観る*
【30日間無料トライアル】Amazonプライムで『鬼滅の刃』全26話を観る
【30日間無料体験】Netflixで『鬼滅の刃』全26話を観る
【2週間無料体験】ABEMAで『鬼滅の刃』全26話を観る
*本ページの情報は2021年1月時点のものです。最新の配信状況は各社サイトにてご確認ください。
一点、念のためにお伝えしておきますが、アニメで見られる26話分は映画「無限列車編」の前までです。
ただその後の続きがきっと公開されるはずですから、今のうちから備えておいて損はないですね。
2.「マインドフルネス」から呼吸を深める
この記事での「マインドフルネス」の観点は下記の『マインドフルネスストレス低減法』をもとにしています。
記事中に取り上げた瞑想やボディー・スキャンの他に、ヨーガなど、実践的な瞑想方法と8週間のプログラムが組めるようになっています。
その後は自力で全集中・常中に向けて瞑想を続けていくことになります。
3.禅を学び、呼吸を修行する
上記の『マインドフルネスストレス低減法』も、すでにご紹介したように禅からの影響を強く受けていますので、これを読むだけでもだいぶ禅の考えかたも理解できるようになります。
さらに著者であるカバットジン氏が影響を受け、上の本の発想のもとになった『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読んでみると、より深くマインドフルネスが理解できることと思います。
ちなみに私はこちらと、この本の続編(正確には続編ではありませんが)の『禅マインドビギナーズ・マインド(2)』の2冊を、毎日少しずつ、交互に読み続けています。
4.その他参考図書
この記事を書き始めたときには、もっとたくさんの書籍をご紹介することになるかもしれない、と思っていましたが、『マインドフルネスストレス低減法』と『禅マインド ビギナーズ・マインド』からだけで相当な量になったので、こちらでは一冊だけご紹介しておきます。
本文中でもご紹介した沢庵宗彭が禅僧が著した、江戸時代初期の一冊です。
不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)は、江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物である。執筆時期は諸説あるが、内容から見て寛永年間(1624年から1645年)であろうと推測される[1]。別称を『不動智』、『剣術法語』、『神妙録』とも呼ばれ、原本は存在せず、宗矩に与えられた書も、手紙か本か詳しい形式は判明していない[2]。
=================
徳川将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられ、『五輪書』、『兵法家伝書』等と並び、後の武道に多大な影響を与えた書物である。また、沢庵の同種の著作として『太阿記』もある。
心が一つの物事に捉われれば(意識し過ぎれば)、体が不自由となり、迷えば、わずかながらでも心身が止まる。これらの状態を禅の立場から良しとせず、達人の域に達した武人の精神状態・心法を、「無意識行動」かつ心が常に流動し、「迷わず、捉われず、止まらず」であることを説き、不動智を「答えより迷わず=結果より行動」に重きを置く禅問答で説明(当書の「石火之機」)したもので、実質的には心法を説いた兵法書であり、実技である新陰流と表裏一体で学ぶもの(当書「理の修行、事の修行」)としている。
出典:Wikipedia「不動智神妙録」の項より抜粋 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%99%BA%E7%A5%9E%E5%A6%99%E9%8C%B2
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